子供と英語絵本のある暮らし

英語絵本がいっぱいの子供英語教室 Kashiwagi English Roomから~

スポンサーサイト 

 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

△top

Jump In! 

 

先日、「The Wizの体験記、続きはまたあとで」と書きました
が。
それよりも、ご興味のある方にはマーブルス掲示板をご覧頂こう、と思いました。
ここにある、「★ 燃え尽きた夏!」というMasumi先生の投稿に、参加した人の思いのたけをぶつけた熱い記事がたくさんたくさんぶら下がっています。
私も投稿しています。
良かったらどうぞご覧下さい。

それより!!!
ここをご覧下さっている東海圏の、児童英語関係の方へ!!!!

是非、今度は先生達もジャンプインしてみませんか。
恐らく
「私は、子どもに英語を教える方法は知りたいけれど、私が劇を習いたいわけじゃない」
「私は、劇に興味が無い。子供達にもさせる予定がない」
「歌を歌ったり、踊ったり、大きな声を出したりするのは得意じゃない」
そう思われる先生がほとんどかと思います。

英語 De Dramaは、演劇を学ぶところではありません。
英語 De Dramaに参加することで、私は先生や仲間に「丸ごと受け止めてもらえる」ことの心地よさ、そして力強さを体で感じました。
そして、心を動かされ、出来なかったことが出来るようになっていく。
その経験を、次は子供達へ―。そう思います。
子供達も、ああせい、こうせい、と言いつけているだけでは、その心は動かせない。

人間すぐには、変われないけれど、少なくとも私は真澄先生の生徒になって、一度は不安な、情けない自分になってみることで、子供達の見え方が変わってきました。
皆、小さな声でも一生懸命やっている。輝いている。小さな胸に悩みを抱えている。
それを受け止めてあげよう、と。
注意したり、叱ったりして、子供は育てていくものだけれど、「受け止めてあげる」という前提を、大人は忘れちゃいけないんだと、教えられました。

それから、言葉に命を吹き込むことの面白さ。
真澄先生は、この科白ってどういう意味?どうして、このキャラはこんなことを言うの?だったら、そんなにのんびり科白を言ってられないんじゃない?
そんなことをずっとずっとずーーーーぅっと聞き続けます。
演じるほうは、考えなきゃいけないのです、一生懸命。
ああ、そうか、と納得すれば、言葉も命を持って動き出します。

さて、子供達にも、受身でなく自分で考えて行動する子になって欲しい、なんて偉そうに言っているけれど、
私も、いつも受身だったのではないかしら?自分でここまで一生懸命考えていただろうか?

「これをやりなさい」と言うのではなく、「どうしてやらなきゃいけないかわかる?」と考えさせる。真剣な目で尋ねる。(真澄先生がそうだった)
納得したら、子どもは自分で動くのです。

そんなこと丸ごとひっくるめて、大きな大きな勉強が出来る。
それが英語DeDramaです。

そうそう、それから。
前の記事に、一緒に参加した仲間がたくさんのコメントを寄せてくれました。それを読んで
「今更、こんな濃い人間関係の中には入っていけないわ~」
と、きっときっと思われたのではないですか????
私だったら、絶対そう。

でもね、私だって、この仲間達とこの2日間一緒だっただけなのです。
(もしくはライオンキングのときの、プラス1日)
8月23日に初めて出会って、24日に泣きながら抱き合って別れた仲間達。
この年齢になって、しかも1,2日で、これほど強い人との繋がりができるなんて、まさに真澄マジック。

だから、大丈夫。
劇団四季に入るわけではないですから、技量も心配いりません。
みんな、welcomeです。

でも、とにかくやってみないと分からない!んです!!!!!
-- 続きを読む --
スポンサーサイト

category: 英語講師として思うこと

tb: --   cm: 5

△top

くものすおやぶん とりものちょう 

 

パピーにモノを頼むと、にやっと笑い、
「よし、おいらにまかせな」
と応えた。

? なんじゃ、それ。

そしたらこないだ、窓の外を見ていて、流し目で

「かぜもねえのに…、やけにさくらがちるじゃねえか…」

ふっと笑う。
(この時期に桜なんて散ってません、散ってません)

それでピンときました。
くものすおやぶん とりものちょう (こどものとも傑作集)

これだ、これだ。
お盆に帰省先でおばあちゃんに買ってもらった本です。
この中で、親分さんがつぶやく科白が、これ。「かぜもねえのに…」
すっかり気に入ったようです。

「そこだっ! しゅぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱっ」
と糸を出して、ぬすっとを捕まえるシーンなんて、
さぁ~すが、親分さん、きゃーっ、かっくい~い!
てな(これは、私の感想ね)、絵本です。
パピーはこの絵本でもう一つ、おもしろいことを考えていました。

「ここ、とりものちょうがおまんじゅうを食べているよ」
と本の1ページを指差して言います。
「捕り物帳」はおまんじゅんなんか食べません。
「捕り物帳」は「事件ファイル」です。

くものすおやぶんには、ぴょんきちという子分がいつもついてまわります。
タイトルから、くものすおやぶん=主人公の親分さん、とりものちょう=子分のぴょんきち
と思っていたようです。
本の中で、座敷で正座をして3センチほどのぴょんきちが、直径3ミリほどのおまんじゅうをぱくっ。
食いしん坊パピー、おまんじゅうには、たとえ3ミリであろうと、さすが目ざとい。

おもしろいから、「まんじゅんたべるとりものちょう」は、しばらくほおっておくことにしました。
いつものことです。

「なにものだ。ふてえやろうだぜい」
とつぶやくパピー。
「ふてえやろう」
の意味を確認もせず口にしてみるところが、不思議で、すごい。
-- 続きを読む --

category: 息子のこと(iroiro)

tb: --   cm: 0

△top

「メロンパンの一日」ゲーム、やってみてね。 

 

文字が書ける。本が読める。

これは、神様が人間に与えてくれた一つの能力です。
皆持っている。

だから英語だって、自然に読めるようになるはずです。

一応お教室では、低学年の頃、一通りのフォニックスを教えます。
それをヒントに、文字を読み出す子もいます。
でも、あんまりヒントにならない子もいます。
そういう子に対して、今の私はあまり必死にならないようになりました。
(昔は焦っていました。CAT, MAT、早く読めるようになってくれ~!と。)

ここでフォニックスのワークを完璧にこなさなくったって。
英語を聞く。その音声にあたる文字を追う。
この作業を続けていれば、遅かれ早かれ必ず読めるようになる。

神様がくれたその能力を持って、生まれているはずだからです。
お教室の子供達は、みんなたくさん絵本を読んでいる。
だから大丈夫―そう、信じていました。

でも…
残念ながら、神様がそれを忘れて、生まれてきてしまった子がいる。
そういう種類のハンディキャップが存在することを、私も少しずつ知るようになりました。
LD(Learning Disorders,Learning Disabilities)と呼ばれます。
「学習障害」―読み書きや計算に対して、偶々その能力を持っている人には考えられないほどの困難を感じるのです。
文字がいつまでたっても、ただの記号やミミズに見えてしまう。

LDを抱えた一人の女の子が描いた絵本のゲームのサイトが、英字新聞「The Japan Times」で紹介されました。
Japan Timesの記事はこちら
そして、ゲーム「メロンパンの一日」はこちらです。
「メロンパンの一日」を描いたサキちゃんは今中学1年生。やっぱり読み書きは辛いけど、絵を描いたりお話を作ったりすることは大好きなのだそうです。
あったかくてとってもかわいいサイトです。
ゲーム好きのお子さんのいるご家庭なら、是非一度覘いて下さいね。
(使い方は、お母さんのブログをご覧下さい。
でもゲームの得意な子は、ちゃっちゃとやっちゃうんだろうなあ。私と違って…。)

もう一つ。
まだ私自身が丁寧に読んでいないのに、お薦めするのはナンなのですが、
アマゾンから届くまで待っていられないくらい、ご紹介したい本があります。
Thank You, Mr. Falker


LDに限らず、目に映りにくくとも、いろんなハンディキャップを抱えた、子供達がたくさんいます。
どんな障害も、まずは社会で広く認知、理解されることから、全てが始まるのだと思います。

category: 英語講師として思うこと

tb: --   cm: 0

△top

絵本の発表―お教室のお母様方へ 

 

私のお教室のレッスンは、大きく二部に分かれます(ちょっとオーバー?!)
前半は、私による絵本読み聞かせ。
後半は、子供達による、好きな絵本の発表。
今日はその後半部分について、お話します。

初めてお教室に通い始めた頃は、
絵本一冊分をお教室の皆や先生の前で読むと、拍手がもらえて先生に「すごい」と言ってもらえて、シールがもらえる。
それを、子供達はとても嬉しがってくれます。
絵本を開くだけならおうちでも出来るのだから、この、後半部分があるからお教室に通う意義がある、
そう言って下さる親御さんもいらっしゃいました。

ただ、ピアノのレッスンを受けるのとはちょっと違うんです。
ピアノって、自分で出来るところまできちんと仕上げて、先生に弾いてみせて、それをより良い作品にしていく、ものですよね。
この発表で私が発音や文法的間違いを正したり、内容についての指導をしたりすることはありません。
覚えたかどうかをチェックしているわけでもありません。
それどころか間違っていても、放置していることが多いです。
(ちなみに、子どもの暗誦の仕方の間違いって、下手に英語を知っている大人には出来ない間違いをします。
ナマの英語に触れているから間違うんだ!と感心してしまうような間違い…それは話が長くなるので、また別の機会にします)
要は、
「ぼくねえ、こんな本持っているんだよ!」
「おうちで、おかあさんとこんな本読んだよ!」
「これ、おもしろいとこ見つけたよ~!」
「ぼく、これ一冊ぜーんぶ読めるんだよ!」
子供達が一人ずつこんな気持ちをぶつける場、私が受け止める場にしたかったのです。

ところが、何年かやっているうちに、毎週一冊、というペースが出来、
いつの間にか「ピアノのレッスン化」しちゃったのです。
子供達が
「今週は本読みの練習していないから、発表しない」
と時々言うようになりました。

練習?
別に、「練習」なんかする必要ないんだよ。
覚えてきなさいとは、いつも言ってないじゃない。

ところが、
「覚えなきゃ、英語習ってる意味ないでしょ」
と、子ども(特に小学生ですね)の方から言ってきた。
なんだかショックでした。

毎週一冊、丁寧に、覚えてしまうくらい本を読む。
それを何年も続けることは、すごいことです。
将来の、強い英語力の基礎になることは間違いないです。
ただ、小さい頃、読む本がとてもシンプルだった頃は、するんとリズムに乗ってまるごと一冊読めてしまうのが楽しかったし、嬉しかったと思う。
英語を口にすること、そのものが楽しそうだった。
でも、もうそんな時期は過ぎてしまいました。
「覚えなきゃ」といつの間にか、苦しんでいたのなら、そこから開放してあげなくちゃ、と思いました。

原点に戻って、
「発表は、子供達が一人ずつ本を読んでの気持ちをぶつける場、それを私が受け止める場です。
暗記したこと、もしくは読めることを、先生に報告する場ではない」
ということを、ここに明らかにしたいと思います。
気持ちをぶつける、と言っても、感想を発表するわけでなく(言いたかったら勿論歓迎!)、私と一緒に音読をする。そのやり方はすぐには変えないけれど、
少なくとも「きちんと暗誦させてレッスンへ行かせる」ということを、お母さん方に一度忘れて頂きたい、と思います。
その代わり、きちんと本を開いて欲しい。中身について、考えて欲しい。(理解して欲しい、のではありませんよ!)
子どもが、本を楽しんでいるかどうかを見極めて欲しい。

今更ながら、
「英語だから、日本語みたいには子どもたちは本を楽しめないでしょう?」
と仰るかもしれません。
それはレッスンの前半で、私が絵本を読みながら、子供達の表情を見て、判断しています。

全員、楽しんでいます。

それは断言できます。
皆笑ったり、本の中身をいろいろ探したり、思い思いの意見を口にしたり。
生き生きしています。

レッスンへは気楽に送り出してください。
「英語、練習しなさい」
というストレスから、お母さんが開放されてくれれば、私は嬉しい。

一人、スカラスティックブッククラブで「犯罪捜査セット」を買った男の子がいます。
指紋検知パウダーやブラシなどと、指紋についての解説書がセットになったもの。
最近の発表では、その「解説書」を持ち出してきます。
英文そのものは、ちょっと彼には難しいのだけど、その内容が面白い!
指紋って、2人として同じ人はいない、ぐらいは知っていたけど、
火傷をしても、まったくもとの形に再生するなんて、私知りませんでした。(誰でも知ってる?)
怪我をしているときだけ、指紋は狂う。
「じゃあ、オレ、指先が割れちゃったときに悪いことしようかな。指紋からばれない!」
「ばかね。指先が割れている人なんて、少ないから、すぐ見つかっちゃうよ」
そんな会話をする、発表の時間。

そんなんで、いいんです。
-- 続きを読む --

category: お教室日記

tb: --   cm: 0

△top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。